大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成10年(ワ)6899号 判決

原告 株式会社 第一勧業銀行

右代表者代表取締役 B山太郎

右訴訟代理人弁護士 佐長功

同 田口和幸

同 植竹勝

同 村上寛

同 本多広和

被告 C川春子

右訴訟代理人弁護士 石井元

主文

一  被告は、原告に対し、金一億〇一三七万三六二七円及び内金九九六四万七〇七二円に対する平成一〇年四月二日から支払済みまで年一四パーセントの割合(年三六五日の日割計算)による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

一  請求

主文と同旨

二  事案の概要

本件は、原告が被告に対して金銭消費貸借契約に基づき貸金の請求したところ、被告において、その夫のC川春夫(以下「春夫」という。)が原告の了解のもとに被告の名義を借用して右契約を締結したもので、被告との間で右契約が成立していたとしても、虚偽表示又は心裡留保によって無効であるとして、これを争った事案である。

(判断すべき事項)

1  原告の主張(請求原因)

(一) 銀行取引約定書の締結

原告は、昭和六一年五月一九日、被告との間で、次の要旨の銀行取引約定書を締結した。

(1) 適用範囲

手形貸付、手形割引、証書貸付、当座貸越、支払承諾、外国為替その他一切の取引に関して生じた債務の履行について、この約定に従う。

(2) 手形と借入金債務

手形によって貸付を受けた場合には、原告は手形又は貸金債権のいずれによっても請求することができる。

(3) 利息損害金

利息、割引料、保証料、手数料、これらの戻しについての割合及び支払の時期、方法の約定は、金融情勢の変化その他相当の事由がある場合には、一般に行われる程度のものに変更できる。

原告に対する債務を履行しなかった場合には、支払うべき金額に対し、年一四パーセントの割合(年三六五日の日割計算)の損害金を支払う。

(4) 担保

担保は、必ずしも法定の手続によらず、一般に適当と認められる方法、時期、価格等により原告において取立又は処分のうえ、その取得金から諸費用を差し引いた残額を法定の順序にかかわらず債務に充当できるものとし、なお残債務がある場合には直ちに弁済する。

(5) 期限の利益喪失

被告が原告に対する債務の一部でも遅滞したときは原告の請求によって原告に対する一切の債務の期限の利益を失い、直ちに債務を弁済する。

(6) 差引計算

被告が原告に対する債務について期限の利益を喪失した場合は、原告は、その債務と被告の預金その他原告に対する債権とにつきその債務の期限にかかわらずいつでもこれを相殺することができる。

(二) 手形貸付

原告は、昭和六三年三月一一日、手形貸付により、次のとおり、金銭消費貸借契約を締結し、三億円を貸し付け、

(1) 弁済期 昭和六三年九月一二日

(2) 利息 年五・〇パーセント

(3) 損害金 年一四パーセント(三六五日の日割計算)

その後、ほぼ一年ごとに弁済期を延長する書替手形が作成交付され、最終的に右弁済期は平成一〇年三月一三日まで延長されて、原告は、被告から、支払期日を右同日とする書換手形の交付を受けた(以下、前記(一)の銀行取引約定書の締結から右手形の書替えまでも含めて「本件融資」という。)。

(三) 期限の利益喪失

被告は、本件融資金について、弁済期の平成一〇年三月一二日を経過しても支払をしない。

(四) 担保権の実行等による元本充当

原告は、平成一〇年三月二六日、銀行取引約定書に基づき、被告が原告に対して有する預金払戻請求権三八〇五円と本件融資にかかる債権とを対当額で相殺した。

原告は、被告から担保として取得していた有価証券(株式)につき担保権を実行して、次のとおり、合計二億〇〇三四万九一二三円を残元金に充当した。

(1) 平成一〇年三月二六日 一億九八五〇万五一五九円

(2) 平成一〇年三月二七日 一二九万二六七〇円

(3) 平成一〇年三月三〇日 五五万一〇二二円

(4) 平成一〇年四月一日 二七二円

(五) 現在の債権額

右の結果、原告の被告に対する本件融資に基づく債権は、次のとおりとなった。

(1) 残元金 九九六四万七〇七二円

(2) 確定遅延損害金 一七二万六五五五円(別紙損害金計算明細書参照)

(3) 遅延損害金 平成一〇年四月二日から支払済みまで年一四パーセントの割合による金員(年三六五日の日割計算)

(六) よって、原告は、被告に対し、本件融資に基づき、残元金と確定遅延損害金の合計金一億〇一三七万三六二七円及び残元金九九六四万七〇七二円に対する最終の内入れ日の翌日である平成一〇年四月二日から支払済みまで約定利率による年一四パーセントの割合(年三六五日の日割計算)による遅延損害金の支払を求める。

2  被告の主張

(一) 本件融資の実情

本件融資は、被告の夫の春夫と原告との間で、被告の名義を借用してされた取引であって、被告は、その経過や事情につき全く知らないが、春夫に求められてその名前を貸すことになり、内容のわからないまま一連の書面の作成にかかわった。すなわち、春夫は、総会屋業界では著名な「D原会」の会長で、原告との間では友好な関係であったから、全ては春夫と原告との間で密接に話し合って本件融資が取り決められたものである。

被告は専業主婦であり、本件融資を受ける理由もなければ必要もない。

(二) 請求原因に対する認否

(1) 銀行取引約定書の締結について

被告が銀行取引約定書に署名押印した事実は認めるが、作成日付は否認する。個々の条項は知らない。

(2) 手形貸付について

本件融資の金額に相当する約束手形について、当初、署名押印したことは認め、金銭消費貸借契約の締結日とその後の書替えは否認する。本件融資の貸付条件は知らない。

(3) 期限の利益喪失について

不知であるが、春夫からは、原告と春夫との間で、利息の支払を遅滞しない限り、元金の請求をしないとする合意があった旨伝え聞いている。

(4) 担保権の実行等による元本充当について

その旨の通知があったことは認めるが、内容は知らない。

(5) 現在の債権額

争う。

(三) 抗弁その一(通謀虚偽表示―民法九四条一項)

被告において、原告との間で本件融資を受ける意思はまったくなく、原告においても、その発意で被告の名義を利用し、春夫宛て融資の方便としてその誘導工作をしたから、原告と被告は、本件融資の際、春夫への融資の実体を隠蔽するため、いずれも、真実、その意思がないのにこれを仮装したものであって、本件融資は通謀虚偽表示として無効である。

(四) 抗弁その二(心裡留保―民法九三条但書)

被告において、本件融資につき一連の形式的な書面上の行為をしたのは、自ら融資を受ける意思に基づくものでなく、春夫への融資の実体を隠蔽するためにしたのであって、原告においても、被告の真意を熟知していたから、本件融資は被告の心裡留保として無効である。

3  原告の反論等

(一) 抗弁に対する認否

抗弁その一及び同その二の各事実は、いずれも否認する。

(二) 本件融資に至る経緯と別件融資

昭和六一年五月ころ、総会屋グループのD原会のメンバーであるE田松夫(以下「E田」という。)から原告の総務部担当者のA田竹夫(以下「A田」という。)に対し、原告の新宿西口支店において春夫の妻である被告に対して融資をするよう申出があり、被告に融資をすればその資金が春夫に転貸される可能性のあることが懸念されたものの、提供予定の担保株式の評価額等からして、特に融資を断る理由がなく、被告自身はD原会のメンバーでもないことから、被告に対する融資であれば実行が可能として、その旨がE田に伝えられた結果、同支店の担当者と被告により、通常の手続が踏まれて本件融資がされた。

原告と被告の間では、本件融資のほか、本件融資にかかる銀行取引約定書が締結された昭和六一年五月一九日に一億円(弁済期昭和六一年一一月一七日、利息年六パーセント)、同年八月一八日に二億五〇〇〇万円(弁済期昭和六二年八月一〇日、利息年五・七パーセント)、昭和六二年一〇月二八日に三億円(弁済期昭和六三年一月二八日、利息年五パーセント)の融資があり、これらはいずれも被告により弁済期までに返済されている。

(三) 本件融資と被告の行った手続

本件融資に必要な書類等については、被告が自ら署名し実印を用い、昭和六一年五月一九日に銀行取引約定書、昭和六三年三月一〇日、平成元年六月一四日、平成五年五月二〇日及び同年一二月七日に有価証券担保差入証書あるいは担保有価証券変更依頼書をそれぞれ作成提出し、そうして、本件融資の金員が被告により開設された普通預金口座に入金され、その後も、本件融資にかかる手形をほぼ一年ごとに書き替えて交付し、この間、平成二年三月一五日に使用印鑑の変更届を提出して改印手続をしたうえ印鑑届と普通預金印鑑票を提出しており、いずれも、被告において、その意思に基づき、本件融資の債務者として、これらの手続をしていることは明らかである。

三  当裁判所の判断

1  請求原因について

(一)  請求原因(一)の事実(銀行取引約定書の締結)は、《証拠省略》により、これを認めることができる。

(二)  次に、同(二)の事実(手形貸付)について、本件融資にかかる三億円の額面の当初の約束手形(支払期日昭和六三年九月一二日)につき被告自身が署名押印してこれを振り出したことは当事者間に争いがない。

そして、甲第二号証〔振出人被告、支払期日平成一〇年三月一三日、額面三億円とする最終の書替手形〕につき被告名下の印影が被告の印章によるものであることは当事者間に争いがないから、右印影が被告の意思に基づき顕出されたものと推定されて(なお、この点、被告側の積極的な反証はなく、かえって、《証拠省略》によれば、被告において、右印章を春夫に預け、本件融資にかかる一連の書類に押印して使用されることを予め同意していたことが認められる。)、その真正な成立が認められるところ、前記争いのない事実に加え、《証拠省略》によれば、昭和六三年三月一一日に手形貸付により、弁済期昭和六三年九月一二日、利息年五・〇パーセント、損害金年一四パーセント(三六五日の日割計算)とする金銭消費貸借契約が締結され、その後、ほぼ一年ごとに弁済期を延長する書替手形が作成交付され、最終的に右弁済期が平成一〇年三月一三日まで延長されて、原告が被告から支払期日を右同日とする書換手形の交付を受けたことが認められる。

(三)  さらに、同(三)の事実(期限の利益喪失)、同(四)の事実(担保権の実行等による元本充当)及び同(五)の事実(現在の債権額)は、《証拠省略》により、いずれも認めることができる(なお、被告は、原告と春夫との間で、利息の支払を遅滞しない限り、元金の請求をしないとする合意があった旨春夫から伝え聞いているとして抗弁的な主張もするが、これを証する的確な証拠はない。)。

(四)  したがって、本件融資については、原告と被告との間の一連の取引において、その旨の相互の意思表示につき表示上の効果意思が合致していることはいうまでもないところであるから、契約関係それ自体として、これが成立していることは明らかである。

2  抗弁その一及び同その二について

(一)  《証拠省略》を総合すれば、本件融資の背景事情や経緯、具体的な手続経過等について、次の事実が認められる。

(1) 原告は銀行業を営む株式会社であり、A田は昭和五四年三月ころから昭和六三年一〇月ころまで原告の総務部渉外グループ(平成九年七月廃止)に所属していた。

被告と春夫は夫婦で、被告は専業主婦であり、他方、春夫はいわゆる総会屋グループ「D原会」の会長で、E田はそのメンバーである。

原告の総務部渉外グループは、原告に寄せられる様々な個人、企業、団体などからの寄付、賛助要請、雑誌購読などの案件処理専門の担当窓口であり、右の部署が原告とD原会との接点であった。なお、平成九年七月には、新聞で、原告の役員ら幹部とD原会のメンバーが一〇年以上にわたって毎年六月の株主総会開催時期に原告本店行内で食事会を開いていた旨が報じられている。

(2) 昭和六一年五月ころ、E田からA田に連絡が入り、春夫の妻の被告に対して株式投資資金として一億円程度を原告の新宿西口支店から融資して欲しい旨の相談で、融資に際してはこれに担保価値の十分な株式を差し入れるという内容であった。

被告に融資をすれば、実際はその融資金がD原会の会長である夫の春夫の手に渡る可能性の高いことも当然に考えられたが、提供予定の株式はいずれも上場銘柄で相当の担保価値があり、被告自身はD原会のメンバーでもないことから、特に融資を断る理由がなかったため、A田は、右融資が実行可能と判断して、E田にその旨を伝えて原告の新宿西口支店に被告が出向くよう指示し、予め同支店にも右の融資案件を連絡した。

(3) 原告の新宿西口支店では、右株式の担保評価をするなどした後、昭和六一年五月一九日、被告が同支店に来店し、原告と被告との間で銀行取引約定書が締結され、同日、弁済期昭和六一年一一月一七日、利息年六パーセントとして一億円の融資が実行された。

その後も、同様にして、昭和六一年八月一八日、弁済期昭和六二年八月一〇日、利息年五・七パーセントとして二億五〇〇〇万円、昭和六二年一〇月二八日に弁済期昭和六三年一月二八日、利息年五パーセントとして三億円の融資が実行されたが、これら三口の合計六億五〇〇〇万円の融資はいずれも各弁済期までに返済された。

(4) こうして、昭和六三年三月一〇日、原告と被告との間で四回目の融資となる三億円の本件融資に際し、被告から原告に有価証券担保差入書が提出された。これによって原告に差し入れられた株式は、全三一三銘柄で当時の株価による時価合計額は四億三六二六万一〇〇〇円であった。

翌一一日、被告が額面三億円の約束手形に署名押印してこれを原告に交付し、被告の普通預金口座に右融資金から利息を控除した二億九二三五万六一六五円が入金されて本件融資が実行された後、同日のうちに被告の作成した普通預金払戻請求書により、一億円が払い戻された。また、同月二八日に右口座から一億九二八〇万円が払い戻された。

(5) 原告は、平成一〇年四月二日、本件訴訟を提起した。

他方で、原告は、昭和六一年七月から平成二年四月までの間、四回にわたり、原告の兜町支店からD原会の経理事務補助者で社会保険労務士のD川梅夫(以下「D川」という。)に対して億単位の金員の融資を実行しており、その後、D川に対して貸金請求訴訟を提起したところ、D川が本件とほぼ同様の主張をしてこれを争っている。

なお、《証拠省略》中には、本件融資の経緯に関して、右認定と異なる内容の供述部分があるが、断言口調で極めて具体的に述べるわりには、本件融資と原告のD川に対する融資の先後関係を取り違えて認識している箇所もあり、たやすくこれを措信することはできない。

(二)  右認定事実に加え、前記1請求原因について(二)に顕れた事実関係も踏まえて、被告の主張する各抗弁を検討する。

まず、抗弁その一(通謀虚偽表示)については、本件融資の経緯は右認定等の事実関係のとおりであり、このほか本件記録に顕れた一切の証拠に照らしても、原告と被告との間で、本件融資につきこれを仮装する合意の存在は認められず、失当というべきである。

次に、抗弁その二(心裡留保)を判断する。

本件融資は、昭和六一年五月一九日に銀行取引約定書が締結された後、三口合計六億五〇〇〇万円の各融資とその返済を経て、昭和六三年三月一一日に実行されたものであり、その後は実質的に弁済期の変更を継続したものにすぎないことから、右の判断にあたっては、右同日以前に生じていた事実関係を手がかりとして、被告の意思表示とこれに対応する原告の主観的態様の内容を検討するほかない。

そこで、被告についてこれをみると、被告の夫の春夫がD原会の会長として如何なる活動を行っているかは、株主総会の開催時期を迎えるたびに世上でされる報道を待つまでもなく、専業主婦の妻の身として、十分にこれを知悉しているはずであり、仮に春夫に言われるままであったにせよ、被告が原告の新宿西口支店に赴き、自らの名前で通常の融資に必要な所定の手続をしたのであるから、被告が契約当事者となる反面で、なぜ春夫自身が当事者にならないのかも、自ずと了解可能な事柄であった。

他方、原告については、総会屋会長を直接の取引当事者としたのでないにしても、その妻と取引する以上は、潜在的に利益供与につながるような不明朗な関係を築いたとの誹りを免れないものではあるが、少なくとも、本件融資においては、その当初、担保として十分の価値のある株式の差入れがあって、株式担保融資といえる実質を伴うものであったから、同様の担保提供のある限り、当時の経済情勢や時代背景からして、仮に無職の一般投資家であっても、実行され得るような融資であったとみることができる。

してみると、本件融資は、被告側においては、おそらく春夫のための資金需要があったために、被告を介在させて融資を求めたもので、被告自身にいわば身代わり的な債務者となるしかないことの認識があり、原告側においては、断ち難い関係のあった総会屋から求められた忌避すべき融資案件であったものの、通常の融資と同様の十分な担保を伴った案件であって、あくまで融資の相手方自体は総会屋でなかったからこそ、これに応じたものであろうことが指摘できるところである。そして、その後、担保に供された株式の株価が低落し、原告が本件融資につき何らの追加担保を求めなかった姿勢は不明朗というほかないが、これをもって、当初の契約関係の評価に消長をきたすものではない。

そうして、原告は、被告の名義を借用して、春夫との取引をする意思は毛頭なく、被告も、そのような事情を理解して自ら債務者となったものというべきであるから、被告において、本件融資にかかる意思表示につき心裡留保にいう表示上の効果意思と真意との間に何らの齟齬もないのであり、結局のところ、実際に請求される段となって、自らは債務者でなく、単なる名義の被借用者であると主張しているにすぎないものといわざるを得ず、抗弁その二の主張も失当である。

(三)  したがって、被告の主張する抗弁はいずれも失当である。

3  以上のとおりであって、原告の請求は理由があることになる。

四  よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 梶村太市 裁判官 平田直人 大寄久)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例